忍者ブログ

夕染逢想

時間切れだね

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

むかしのはなし

このブログに移行する前に使っていた日記サイトを久しぶりに見ていた。ちなみに僕の書いていた日記もまだ残っている。というか、管理画面へのパスワードを忘れてしまったので消すに消せない状態。痛さ全開なのでもちろん公開しません。

一通り読み返すと、つい「若いなぁ」という言葉が口をついて出てしまった。こんな風に目に見える変化を残しておいたら、自身が変わっていく様子というものがよくわかる。かといってずっと残しておくのはかなり問題があるんですが。

最近、夢を見ている時、考え事をしている時などに、よく昔のことを思い出す。だいたい、中学時代から高校時代のこと。現在から過去を思うと、今に至るまでの経過はスムーズだが、過去から現在を思うと、どこでどうやって今のこういう結果になったのかわからない。中学時代には想像もしてなかったことだ。もっとも中学時代に何を想像していたのかと聞かれるとよく思い出せないが。高校時代も初期は大学に行くなど到底考えていなかった。後期もほぼなりゆきだろう。勉強は嫌いではなかったし、卒業→就職という流れには抵抗があったから、せめて専門学校に進もうとは思っていたような気はするが。


昔のことを思い出すのは、僕が歳をとったからかな。思えば19歳と20歳はずいぶんな違いがあるような気がする。

PR

言い訳

どんな人でも、その人の人間性を表す言葉というものがあると思う。
僕の場合は何かと考えたら、言い訳という言葉が出てきた。いい意味でも悪い意味でも、この言葉がぴったりだと思う。

人生における分岐点、必ず選択をせまられる場面というものがあれば、選択しなかった道には言い訳という大きな壁を置き、その道をふさぐ。選択した後で後悔しても遅いように、自分は逃げたのではなく選択肢がなかったと思わせるように。
実際にそのような光景に出くわしたら、ひどく滑稽だろう。自分で道をふさいだ後で、あの道はふさがっていた、他に道がなかったと言っているのだから。

ここ最近の僕の道は、いたるところに言い訳が落ちている気がする。ぐねぐねと曲がりくねっていて、あちこちに言い訳が落ちていて、けど、歩いてきた道を振り返ってみると、ふさいだ道を通ったほうが意外とまっすぐだったり、ちゃんと舗装されていたりする。そこに後悔はないけど、歩きだした姿のすぐ後ろには、真新しい「言い訳」がまたひとつ。


逃げ道はすでにない。あとは決断だけだ。

夜明けまで

人と人一冊
アフターダーク/村上春樹

初めて読んだ村上春樹。amazonなんかのレビューじゃ酷評が多かったけど、僕は好きです。なんていうか、小説というよりは、文学、といった感じ。
特に、何かが起こるといったわけでもなく、わかったことよりわからないことの方が多いまま終わってしまうんですが、やっぱり、文体はとても美しいです。映像で表現すると、難しい、けど、漫画だったら、しっくりくる、という気がします。
村上春樹はわけのわからない文章を書くと聞いていたのですが、もしかしたら、初めて読む分には当たりだったのかもしれません。今度は、有名どころに手を出してみようかな。


僕の住んでる街の深夜から夜明け前までは、人は動いてるけど街は眠ってる感じです。広い道路は車やトラックが行き交ってるけど、変な静けさがある感じ。
僕の生まれた街の、全てが止まってるような静けさも好きですが、どちらかというとこちらのほうが、静かだけどもどこかに気配を感じるほうが、僕の性に合ってる気がします。



きっかけ

友人が昔の恋人に会いに行ったらしい。ふとしたことで連絡したら、そういうことになったと言っていた。

大切なのはいつだってきっかけなんだと思う。ほんの小さなきっかけから、あとは転がる石のように、結果がどうなるかだけ。大変なことなんて何もない。きっかけさえあれば人は動けるし、物事は進む。

きっかけはたくさんあるのに、そのきっかけに乗ることができない僕は、やっぱり情けない男だと思うのですが。

その友人が会う前に僕に相談してきて、あったほうがいいのかとか、いろいろ不安がっていたので、適当にアドバイス的なものを送っておきました。僕だったら会いにはいかないとか、会って拒否されたらどうするとか、至極ネガティブなことばっかり言ってましたが。
やはりその辺の性格の違いが行動にも影響してるんだろう。僕は友人みたいに昔の恋人に会いたいといわれてもすんなりいいよとは言えないだろうし、会ったその先を考えすぎてしまって、可能性というものがまったく見えなくなる。


何かを待ってるわけじゃない、と思う。待っていても何も来ないのは自分が一番わかっていて、自分でも、その辺のことがよくわからなくて、どうすればいいか、人に言うこともかなわずに、手の中で熱を失ったそれを、誰も見ていないところに捨てている。
もしかしたら、いつかきっと、という希望を持っているのかもしれない。昔から、何かを待っていることが多かったから。誰かに見つけてほしくて、夜中に家を出て夜の公園に足を運んだり、何も用はないのに、誰もいない河原にずっと座っていたり。
もちろんずっと待ってばかりいるわけじゃない。けど、探しに行くときはいつも夜。ほんとに見つけたいものは見えない時間。そこに何もなかったわけじゃないけど、合わないパズルのピースみたいに、なんか違うなと思ってしまって、離れていくか、それ以上のものを望んでしまう。


20歳か・・・結構長い間探し回ってるんですけどね。

二択

以前、携帯電話のメールアドレスを変えた際、このブログの登録アドレスが携帯電話のメールアドレスだったため、こちらも変更しなければならなくなった。
メールアドレスの変更、で新しいアドレスを入力、登録ボタンを押す。

エラーが出た。
どうやら@の前に.が付いたアドレスは使えないらしい。仕方なくパソコンのメールアドレスを入力した。


エラーが出た瞬間、僕は僕に拒否反応を示されたような気がして、なんだか悲しくなった。

けど、考えてみれば、知らない人間を拒否しようとするのは当たり前でもある。僕の知らない僕が僕を拒否することの自然性にはなんの疑いもない。
わざわざ無理に知ろうというつもりもない。しかし、僕は僕の知らない僕を知ろうとは思わないに、僕を知らない他人には僕の知らない僕も知って欲しいと思う。
知っていることより知られる方が安心するなんて、不可解というか、なんというか。

でも、その安心が訪れることはそうそうないだろう。他人を知るなんてことは、自分を知ることよりもずっとずっと難しい。
この矛盾がもどかしく、どうしようもないほどに大きな壁だ。



台風がそれて、僕の街は気持ちいいくらいの快晴です。秋風が形容し難い風情を出していて、季節の移り変わりというものを感じます。

心労

どうでもいいような心労がかさむと、今現在抱えていることとか、言っていないこととか、いろいろ、全部、ぶちまけたくなります。
ストレスというか、どこにいても息が詰まるような圧迫感にさいなまれていて、友人の前などではそれを隠して、故にまた心労がかさむといった悪循環に陥っているわけですが、今、この状況では現状を打破するというよりも、状況に慣れて、耐えることが大事だと思うのです。
つまりは我慢です。以前、我慢できる大人はかっこいいと書きましたが、書いたからには地でいかなければなので、とにかく我慢をします。

ここ数日、雨が降り、気温もめっきり下がってきました。日中でも(日は出ていませんが)半袖では寒いと感じるほどになってきました。まだ衣替えなどはしていないので、服を選ぶのに多少困る、とそれっぽいことを言ってみましたが衣替えをするほど服を持ってないのでその辺の心配は無用ですね。
ただ、雨が降り、寒くなると、途端に人恋しくなりますね。今日は友人が体調不良でダウンしていたらしく少し寂しい感じでした。とにかく誰でもいいから話がしたくなります。でも、一人も好きなんですよね。


多少疲れていても無理ができる歳になったんだなと心なしか思います。他人の前では疲れを隠すこともできるようになっていました。ただ本当に疲れている時は、必ず雰囲気に出るので誰かに助けてほしいです。一言声をかけてくれたら、それだけでもうちょっとがんばれます。

減少傾向

バイトを増やしてから一ヶ月、何気なく体重を量ってみたら先日量ったときより1㎏程度減っていた。量ったのはご飯を食べた後なのに。

さすがに死ぬんじゃないのか?と自分でも心配になります。もうとっくに不健康レベルの痩せ方をしているのはわかってましたがここ最近は安定してたので気に留めずにいたら更に減少傾向。


少しは気にした方がいいんですかね。まだ僕より軽い人はいるんで大丈夫ですよね?



45キロを切るようでしたら考えます。考えてどうなるものでもないと思いますが、とりあえず太る努力をしようと思います。

管理能力の是非

今日から家計簿なるものに挑戦してみる。来るべき日に向けて出来るだけ多くの現金を確保するのが目的です。
とりあえずPC内蔵の使いにくそうな家計簿ソフトを使ってみます。目標は一か月1万円。というか当面の目標は家計簿を毎日つけること。そこからです。
やはり人間、意識の変化が大切だと思うのです。例えば誰かに見られているような緊張感を常日頃から持っていれば、自然と意識が働いて無駄を省いたり設定した目標をクリアしようと奮闘すると思うのです。
僕のようなブログを3日に一回しか更新しない人間でも、実はほぼ毎日新規記事更新画面を開いているのですから、きっとできるはずです。ましてや家計簿は考える必要はありませんから(そりゃ月のやりくりに頭をかかえることはしょっちゅうでしょうが)きっとできるはずです。


なんでいきなり家計簿をつけようと思ったのかというと、最近の自己管理能力の無さに絶望したからというのが本音だったりもします。こんな時間に更新しているのでまぁみなさんお気づきかと思いますが、その通り、だらけています。そんな自分を戒め、もうちょっとマシな生活をするという前提で、その第一歩というか、手始めにまずやってみよう、と思い、家計簿という手段を取りました。
普段飄々ふらふらとしているように見えて、実はけっこう真剣だったりします。真剣に飄々ふらふらとしています。

つまり何が言いたいかというと、結局のところ現金が欲しいんですが。

健康被害

やっぱりちゃんと食べなきゃ駄目ですね。今日は昼食を食べる暇がなかったので(本当はめんどくさかった)食べずにコーヒーだけ飲んでバイトに赴いたことろバイト中微妙な吐き気に襲われまして、先週あたりからじわじわと来ている遅い夏バテと並行してなんだかとっても素敵な精神状態に陥ってしまいました。
どうせ食べても太る気配すらしないんだし、ちまちま食べるようにします。「痩せすぎて危険」というゾーンを突破するのはこの際諦めます。そもそも突破する気がありませんでした。

人と話している時、どうすればいいか、と聞かれたときに何かしらの答えも出さないのはちょっといただけないな、と思いましたので、なるべくその場で、一言でもいいので答えを掲示してあげられるようになりたいです。というか努力します。


最近、本を読んでないです。贅沢はできない身ですが、本だけはなんとか節約に節約を重ねて買いたいです。お金が無いので基本的に文庫を買うんですが、できればハードカバーで欲しい本も何冊かあります。新書で出ていて買うのを迷っている本もいくつかあります。集めている漫画も先週新刊が出ました。
本当に、お金がいくらあっても足りないです。こういうときは、やっぱり就職しとけばよかった、と思うんですが、就職したらしたで本を読む暇もなくなるんでしょうね。世の中は理不尽であふれていると思いませんか!?
と、屁理屈はこのへんにして、もうすぐ学費を払わなきゃいけない時期です。僕の場合奨学金でいっぺんにまかなっているので、手を出しさえしなければ問題なく支払いが済まさせるんですが、なんか怪しいんですよね。通帳の管理は親に任せているので、僕は確認ができないんですが、割と余裕があるはずなのにギリギリっぽいことを言ってましたし。出費は心当たりがあるにはあるんですが、毎月バイト代の端数(千円台)は切り捨てて引き落としていたのでプラマイはほとんどゼロのはずなんですけど…

なんにせよ払うことが大事なので今は無事に払い込みが終わることを考えます。貯金も真剣にしなきゃ何があるかわかりませんね。

慣性

バイトのかけもちを始めてそろそろ一か月、もう雰囲気とか、スケジュール管理とか、生活リズムとか、慣れてきました。

「慣れ」って、怖いですよね。
慣れって、個人的には「忘れること」だと思うんですよ。頭の中の話ですけど、整理のついてないいろいろな情報を、いるもの、いらないものに分別して整理し、無駄な情報は消去して忘れてしまう。これが「慣れ」だと思うんですよ。その筋の言葉でいえば「最適化」という状態になるんですかね。
大学に入ってから今年になるまで、1年と半年が経ちましたが、「忘れること」ほど辛いこともないな、と思います。できれば、忘れることなく生きていきたいです。そりゃ、忘れたくなるほど辛いこともありますけどね。

今「忘れること」が慣れだと書きましたが、書いている途中に「忘れないこと」も慣れなんだということに気付きました。そりゃそうですね、消去する情報があれば、しない情報もあるわけですから、しなかった情報は忘れないということですね。
何故か、少し安心しました。

祝日だからといってどこかに出かけるでもなく、適当にギターを触って遊んでたんですが、何故でしょうか、もっと何かをしなきゃいけなかった気になります。別のことをしてた日にはまったく逆のことを考えているのに。
人間の思考なんていい加減ですね。

20年も人間をやってきて、未だに自分がしなきゃいけないことがわからない。したいことがわからない。進化論なんてでたらめじゃないのか。
いつまでも「最適化」できない自分に苛立つ。


TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]