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夕染逢想

時間切れだね

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駄目人間

結局僕は何がしたいんだろうか。

どうしたいんだろうか。

一挙一動を気にかけてるくせに、自分の目で見ようとしてない。最悪じゃないか。


ごめんなさいごめんなさいごめんなさい

ごめんごめんごめん

なんか謝りたい。別に謝るようなことはしてないと思うけど。


言いたいことがある。言い出せない自分がいる。
言い出せない自分を殺してしまいたい。

チョコパイは全部無くなった。一個くらい自分で食べてみたかった。今度自分に作ろう。

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気分転換

最近いろんなことがありすぎでした。ちょっと疲れた。精神的に。
精神的には疲れてますが肉体的には一向に疲れてないのでいつも通りバイトに行ってます。でも昨日くらいはちょっと無理したかな。たくさんしゃっくり出たし。

お金の使い方を考えなきゃいけませんね。どうも僕は自己管理能力がつたないのでついつい無駄遣いをしてしまいます。ある程度の目標はあるのにそれにたどり着けないんじゃ目標を定めた意味が無いので。
とりあえず収入を増やして支出を抑える。もうコレに尽きますね。

1.なるべくバイトを入れてバイトの無い日はお金を使わないようにする。コレは基本ですね。

2.コンビニ利用率を減らす。コンビニ支出が大きい気がするので。

3.近い距離なら徒歩もしくは自転車。ガソリン代も馬鹿になりませんし。

4.夕食はなるべく家で食べる。一食が大きい夕食は家でなきゃね。

5.携帯の料金も考えて使う。なるべく八千円くらいに収まるように。

6.飲み会は月一程度に。宅飲み以外の話。

7.コンビニATMは利用しない。手数料が痛いので。

こんなもんですかね。もっとあるような気がしますけど。
今月なんか目標額をすでにだいぶオーバーしてますから。給料日まで自重せねば。

不真視私

あれから随分時間が経ったのに、まだ僕は挙動不審で、必死にそれを隠そうとしていて、でも隠しきれてなくて、結局向こうを不安にさせる。

なんで普通に出来ないのか。

迷惑するのは向こうなのに。



いろんなことが頭をよぎる。ほとんどはいらないもの。

捨てられたら楽になるなんて考えてる自分が嫌だ。


はっ、僕も偉そうなことは何も言えないな。

体躯不変

ぽかぽかあったかい陽だまりで思いっきり欠伸をするのが好きです。夕染逢想管理人ゴマ(仮)ですよ。

昨日の続きというかまぁ若干線は外れるんですけど、若干というかだいぶ外れるんですけど。
最近自分が変わったなぁと思うことがよくありますね。体つきは高校時代とほとんど何も変わらないんですけどね。体重もまぁ少し上下するくらいでしたしね。
高校時代からこんなんですw

あーまた話がそれる。
そう、変わったんですよ。僕が。
どういう風に変わったかというと、自分で言うのもなんですが大人になりつつありますよね。考え方とか、いろいろ。やっぱり高校時代とは全然違うと思いますよ。なんていうんでしょうか、今の僕が大人になったというよりは、昔の僕が子供だったんですね。いわゆる高校時代の僕が。

変わってよかったか、といえば。良かったと思いますよ。今の自分とか、周りの人たちと、昔の自分とで話したとしたら、いろいろなかなか、ぼろが出たと思いますから。
人って変わらなきゃいけないと思うんですよ。それなりに。
うん。まぁいいや。

勇気不忘

友人の言葉がなんとなく胸につっかえてて気分がすぐれない。といっても体調に影響が出てるとかそんなんじゃなくなんとなく気持ちの端に引っかかってる感じ。
人を許すことが悪いこととは言わないけど、許すことばかりがいいこととも限らない。我慢してまで許すこともないと思うけどそもそも許すという行為自体幾分か何かに我慢してるんじゃないのかとも。
難しい。
自分で言うのもなんですが僕は心の広い人間だと自負しています。心の広いというか我慢強いというか。
親がしょっちゅう「お前には我慢ばかりさせてきた」と言うほど我慢してます。たぶん。
そのせいかなんか人に対して感情をむき出しにして怒る、なんてことはほとんどないような気がします。どんなに逆鱗に触れようがあくまで冷静に言葉を選んで発するようにしてるような気がします。
僕はそれでいいんでしょうか。自分でわからないので人に聞いてみます。

「許す必要はないと思うんだけどなぁ」

んー、率直でいて考えさせられる。どうしよう。
今更という気もするんです。もう終わったことだし、僕自身の気持ちもいたって落ち着いてるし。それでもきちんと言った方がいいんですかね。あーどうしよう。


大人になろうと思ったはいいけど、どうすれば良いのかわからない。
どうすればいいのかわかったとき、僕はもう大人なんだろう。

大人になったときは、こんな悩みなんかどうでもいいんだろう。
嬉しいかな悲しいかな。

せめて大人になった僕が大人になったことに気づけるようにココに今の僕を置いてゆこう。
見苦しくとも大人になろうとしている僕を置いてゆこう。

数的耽美

どうも、約1週間ぶりですね。
帰ってきた夕染逢想です。帰ってきたからといってゴマ(ジャック)とは呼ばなくても結構です。

突然ですが、1+2+3+4=10ってなんとも言えない数式じゃないですか?
だって1234で10が構成できるんですよ?直感的に考えて1234だけじゃ10にはなれませんて。ましてや1とか2とか単体で考えるとすごく非力なイメージじゃないですか。なのに組み合わさることで10になってしまうんですよ?しかも5の力を借りずにです。なんかこう・・・みんなで力を合わせればできないことはない!みたいな。
それから、掛け算九九の中で一番シャープなのは7×7=49ですよね。まず一見全て奇数で構成されているように見えて実は4という紛れも無い偶数がいるんです!7749という数字の並びで見るとまるで4が奇数に見えてきますよ。そしてこの各々の数字達のシャープさ。もはやスタイリッシュという言葉すら生ぬるいですよ。7というシンプルかつ存在感のある数字に、4という一連の一筆書きから生み出される鋭利な刃物のような凶暴さと直角三角形!最後を任されるのは丸みのある体からは想像も出来ないオーラを持つ9。この9に関してはもう何もいえません。僕はこの9を上手く説明できるほどの語彙を持ってません!

数字って美しいですよね。以前何かの映画でありましたけど数字ってのは宇宙における公用語らしいですよ。
はかない美しさというか、そういうものを持ってる気がしませんか?
11111×11111=123454321とかもうイメージ的には神ですよね。そう、月読みたいな感じで。

僕は思いっきり文系ですが、数字っていいなぁ。不思議だなぁ。

考察「友情と愛情」

ジョン「おい、あれはなんだ?」
テリー「え?鳥じゃないのか」
ジョン「違う!あれは・・・」
ジョン&テリー「UFO(夕染逢想 福岡より お届けします)だ!!!」

こうしてちゃんと更新できるのも今日まででしょう。
といってもココを閉めるわけではありません。明日から鹿児島に帰るので、パソコンでの更新ができなくなります。ここの記事はほとんどがパソコンをカタカタやって書いてるものなので。
なにか書きたいことがあれば携帯のほうから更新するかもしれません。

今日もなんだか良くわからないことについて考えたいと思います。ちなみにココの記事はほとんど編集無しで一発書きです。なのでまとまってなくてもそこはカレーにスルーです。

友情と愛情の違いってなんでしょう。違うってことはわかってるんです。でもそれを説明しろといわれたら非常に困ります。友情と愛情の違いってなんでしょう。
僕は同性の友達も異性の友達もいます。どっちかというと異性の友達の方が多い気がします。異性の友達に対して生じる感情は友情です。それは間違いないです。しかしまぁ、生きてると友情が愛情に変わる人が出てきます。いわゆる「好きな人」です。「好きな人」が同じように自分を好きになってくれたら、それは「恋人」ですね。まぁ簡単に考えてこの三つの対人関係の間で生じる感情の違いというものが友情と愛情の違いだと思うのですが。でも愛情というとほかのケースも考えられます。家族愛だとか、いろいろですね。そうすると「恋人」間に生じる感情も愛情とはまた違うんじゃないかと。しかしではそれをなんと呼ぶか。

考えれば考えるほどわからなくなってきます。愛情にはいろいろ形があるというのは世間で言われていることですが、「恋人」間、「好きな人」にたいして、家族愛、これらはすべて違うものなんでしょうか。
そもそも根本にあるものが違うのかどうかですね。

ちょっと考えてもわからないのでこの件に関しては保留ということで。食事を取って血の巡りをよくしてきましょう。

試験終了

この番組は、夕染逢想 の提供でお送りしています。 はい、無事、ではありませんが試験が全て終了しました。事実上今日から春休みです。今日から4月まで学校に行く用事はまるでありません。というのは嘘です。実は28日が提出期限となっているレポートがあります。しかし、僕は28日の朝にはこの久留米を離れています。なので実際の提出期限は27日、日曜日となっております。書き始めたのは今日の午前1時でした。つまり26日の午前1時です。製作期間約1日です。
まぁだいたい2千字書けばいいレポートなのですが現在は786字です。まぁなんてことないですね。
正直書き始めたら意外なほど指が動いてくれました。明日の、というか今日のバイトまでに終わらせれば全然余裕で出しにいけます。

というわけで続きは明日書きます。

昨日今日と連続して給料が入ったので蔵書狂の中毒症状を緩和するためクラッシュ・ブレイズシリーズの最新刊を購入。今まで購入した本でなんとかしのいでいましたがもう限界だということで買ってしまいました。そしてだいたい2時間ぐらいで読破。もう自分でもびっくりです。大学に入ってあんまり本を読んでいなかったのに以前より速読しているとはどういうことでしょう ちなみに、いろいろ考えた結果未成年略取は未遂で終わらせることにしました。 よく考えると僕もまだ未成年でした。

文法表現

ブログの最初の方で本について語っていくとか言ってたのに今まで一回も触れてなかったので今日からなるべく積極的にやっていこうかと思います。
第一回目の今日は、そうですね。山田悠介氏について語りましょうか。

言わずと知れたミステリ作家。代表作は「リアル鬼ごっこ」「スイッチを押すとき」などでしょうか。独特な構成とテンポの良さ、読みやすさが中高生の間で人気になっていますね。僕も高校生のときに「スイッチを押すとき」を呼んで軽く感動しました。まず発想がおもしろい。ミステリながら若干設定に無理があるところがありますがまぁ気にならない程度ですね。
それよりも致命的なのが文法。最早わざとやっているのかと言わんばかりに文法の間違いが頻出します。初期の作品は自費出版で出していて校正が入らないのでしょうがないといえばしょうがないんですがそれにしたってひどい間違いが目に付きます。それだけが残念でならない。
すごくいいアイデアを持っているのにそれを中学生に書かせていると言えばわかりやすいでしょうか。惜しいです。もっと文法表現、日本語の使い方を勉強しながら書いて欲しいです。まだ若い人ですからこれから直していけばまだまだいい作品が生まれるはずです。

初期といえば一冊
「セーラー服と機関銃」赤川次郎

僕の読書暦における最初の一冊といってもいい本です。短い文章できちんと話がまとまっているいい本。

考察「死と遺書」

新しいカテゴリを追加してみました。考察、と題していろいろ考えてみたいと思います。

mixiにも書いたんですけどね。こちらはまた違った感じで。

遺言状と遺書の違いとは、遺言状とは本人の死後効力を発するまぁ契約書みたいな感じですか。それに対して遺書とは書。つまりただの文章です。もちろん本人の意図がこめられた書なんですが。他人に対する効力などは持っていないと考えるのが妥当かと。
遺書を書くときとはどういう時か。一般には自殺を図る前というのが通説ですが、別に自殺するときだけじゃなくてもいいのではと思いまして。そう、つまり自殺をするということは自分の死期を自分で決めるということですから、死期がある程度わかっていたら遺書を書いても良いのではないかと思ったわけです。もちろん死ぬ間際と未だ死なないとわかっているときでは心情などまるで違うと思いますから、果たしてそれを遺書と呼んでいいものかと思ったんですが。考えてみれば自殺するのと自然死するのではまるで違いますから、死ぬ前に著す書。と大きく括ってしまってよいのではと。
では遺書として何を書くか。それはやはり死ぬ前になってみないとわかりませんが、僕が書くとすれば、本や詞の引用ではなくやはり自分の言葉で書くのではないかと思います。よく見られるこの世の未練についてなどではなく、別れの言葉でもなく、一見意味の無いように見える文章でもなく、何か。何かだと思います。

自分の死をイメージした際に一つの疑問が浮かびました。
葬儀はどのように行われるのか。
僕の家は代々仏教徒であり、葬儀も仏式で行われるのですが、正直僕は無神論者なのでお経を上げられたり、法名をつけられたりするのはあまりいい気分ではありません。とりあえず火葬してもらって骨はどこか僕の好きな場所、そういうところにまいて欲しいものです。こんなことを言えば祖父母だけではなく両親からもお咎めを食らいそうですが、それ以前にこんな話をしている時点である意味親不孝なので考えないことにします。

死とは何か。痛みとは何か。苦しみとは何か。生とは何か。人とは何か。僕とは何か。これらすべて答えなどないことかもしれませんが、考えることが出来る限り考えていきたいと思います。

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