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夕染逢想

時間切れだね

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考察「死と遺書」

新しいカテゴリを追加してみました。考察、と題していろいろ考えてみたいと思います。

mixiにも書いたんですけどね。こちらはまた違った感じで。

遺言状と遺書の違いとは、遺言状とは本人の死後効力を発するまぁ契約書みたいな感じですか。それに対して遺書とは書。つまりただの文章です。もちろん本人の意図がこめられた書なんですが。他人に対する効力などは持っていないと考えるのが妥当かと。
遺書を書くときとはどういう時か。一般には自殺を図る前というのが通説ですが、別に自殺するときだけじゃなくてもいいのではと思いまして。そう、つまり自殺をするということは自分の死期を自分で決めるということですから、死期がある程度わかっていたら遺書を書いても良いのではないかと思ったわけです。もちろん死ぬ間際と未だ死なないとわかっているときでは心情などまるで違うと思いますから、果たしてそれを遺書と呼んでいいものかと思ったんですが。考えてみれば自殺するのと自然死するのではまるで違いますから、死ぬ前に著す書。と大きく括ってしまってよいのではと。
では遺書として何を書くか。それはやはり死ぬ前になってみないとわかりませんが、僕が書くとすれば、本や詞の引用ではなくやはり自分の言葉で書くのではないかと思います。よく見られるこの世の未練についてなどではなく、別れの言葉でもなく、一見意味の無いように見える文章でもなく、何か。何かだと思います。

自分の死をイメージした際に一つの疑問が浮かびました。
葬儀はどのように行われるのか。
僕の家は代々仏教徒であり、葬儀も仏式で行われるのですが、正直僕は無神論者なのでお経を上げられたり、法名をつけられたりするのはあまりいい気分ではありません。とりあえず火葬してもらって骨はどこか僕の好きな場所、そういうところにまいて欲しいものです。こんなことを言えば祖父母だけではなく両親からもお咎めを食らいそうですが、それ以前にこんな話をしている時点である意味親不孝なので考えないことにします。

死とは何か。痛みとは何か。苦しみとは何か。生とは何か。人とは何か。僕とは何か。これらすべて答えなどないことかもしれませんが、考えることが出来る限り考えていきたいと思います。

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comment

無題

  • み 
  • 2008/01/23(水) 20:33
  • edit

死というのは、ただ人生の次に起こる大冒険にすぎないのよ。


J.K.ローリング

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