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夕染逢想

時間切れだね

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車窓から見える現実

 昨日の話。電車の窓から外を眺めていると、なんどか公園らしき物の横を通った。公園というものは子供が遊んだり、ペットの散歩をしたりと、いわゆる市民の交流の場だ。そのためベンチがあったり、水飲み場があったり、遊具が置いてあったりする。
なんどか公園を見かけるうちに、気付いたことがあります。どの公園も、基本的に同じなんですね。ブランコがあり、滑り台があるだけ。遊具がそれだけしかないんです。もちろんその原因はわかっています。僕が小さい頃から遊具というものは減り始めていました。

子供の頃、夏休み。友達の家でテレビゲームをして遊んでいると、必ずと言っていいほど「子供は外で遊べ」と言われます。子どもたちは渋々近くの公園へ行きます。しかしついた先の公園では、あるのは滑り台とブランコだけ、心底困ったものです。

森博嗣氏のブログで、大人は子供の個性を伸ばす社会をと声を張り上げているが、実際の社会は個性をもつものを排除する傾向にある、といった風なことを書いていました。
これと公園の遊具と、何か通じるものを感じるのは僕だけでしょうか。


個人的に、思うことがあります。
現実とは、「見せるもの」ではなく、「見つけるもの」だと思うのです。子どもには、夢を見続ける権利があると思うのです。夢を見続けて、見つけた現実に対して、自分がどうするのかを決めさせるべきだと思うんです。わかることよりも、わからないことがたくさんあったほうがいいじゃないですか。わからないことの答えを見つけるためにがんばれるんですから。
まだがんばってる途中なのに、現実っていう答えを見せないでください。

さて、今日もがんばって働いてきます。

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comment

無題

  • 朋 
  • 2008/09/05(金) 22:55
  • edit

何時も遊ぶ公園が一緒ならつまらないかもね。
幸いにもウチの近所には自転車で19分圏内に公園がわんさか点在しているので色んな遊びが出来るよ。ほぼ貸し切り状態でww

誰もいないから私も命一杯遊んでるw

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