時間切れだね
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「無知の知」という言葉がありまして。
簡単に説明すると自分が無知であると自覚している者は自覚していない者よりも幾分か賢いという、ソクラテスか誰かの言葉だったと思いますが。
思うに、始まりはいつでも自分からなんですよ。因果応報という言葉があるように、自分のしたことが巡り巡って帰ってくるんです。善行悪行関係なくですね。
目的が違ってもそうだと思うんです。自分のためであれ、他人のためであれ、始まりはいつでも自分なんですよ。そして終わりも自分です。
逆に考えると、目的は関係なく始まりと終わりはいつでも自分だということです。
難しいですかね。
自分のためってのは言わずもがなですね。自分のためにしたことの結果がそのまま自分に帰ってきます。
他人のためにってのも一緒ですよ。他人のためにしたことが他人を通じて結果となって自分に帰ってきます。
上のことを把握して生活してみると、いろいろ見方が変わると思うんですよ。物事に対する。
つまり、大事なのは「自覚」するということです。
自覚って言うのは自分を知るということですから、他人を知る前にまず自分を知るということですね。
裏を返すと、自分を知らないのに他人のことをさも知っているかのように振舞うのはやめましょうということです。知ったかぶりというのはたいていぼろが出ますから。
わかりにくいかもしれませんが、自分は他人のことを知らないという事実を知るべきだと思うのです。
でも、そんなことばっかり考えてたら人生難しくなっちゃいますから、更に裏を返して自分は他人の何を知っているのかを考えるといいと思います。これも自覚ですからね。
何を知っているかを知れば、それはつまり何を知らないかを知ることにも繋がりますから。
読み返してみるとわかりにくいなぁw
何が言いたいのかわからないし。
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